地震国日本での高層ビルは耐震との戦いだ。1950年建築基準法が出来て1971年に耐震基準(旧耐震基準)が強化された。1981年(昭和56)に希に起こる大地震でも倒壊しない新耐震基準が法制化された。現実に新耐震基準の建物で地震で倒壊した建物はないと聞いている。
耐震対策構造として揺れに耐える耐震構造が①一般耐震構造である。超高層ビルが建築されるようになり最近は錘(おもり)やダンパー(油圧)を組み込み揺れを吸収する②制震構造が考案された。最近は建物と地盤との間に面装置を設置し、地震の揺れを建物に直接伝えない③免振装置の建物が建築されるようになっている。
松山市での再開発プロジェクトはことごとく頓挫した。事業主と行政と国家との連携が噛み合わず実現していない。松山市内の高層建物は全て60メートルが最高の高さである。高松市には151mのシンボルタワーを含めて60m以上のビルが5棟ある。高知市は日航高知旭ロイヤルホテルの96m、徳島市はJRクレメントホテル73mがある。四国最大の人口を誇りながら松山市に60m以上の建物が一棟も無いのが実に寂しい。
松山市では今年、1棟150戸を筆頭に多くの分譲マンションの建築が始まった。早朝散歩でアチコチの建築看板を見て回っているが、いずれも60m以下だ。建物の高さは街のシンボルだけではない。街のエネルギーの証明でもある。前職の時、建物を14階にするか19階にするか採算性を議論した。私は地域のインパクトを考慮して高層を主張した。そして19階になった。それでも60mだ。今や街の顔となっている。高層建物の建築は事業主のエネルギーの証明となり、その資金力は信用・信頼のシンボルとなっている。